

フォトジャーナリストとして長年働いた経験がある私にとって、解像力のような技術的要素よりも写真の内容が大切であることは言うまでもありません。しかし一方で、35mm判を凌駕するディテール感や繊細な表現力をもつ大判カメラに魅了されてきたことも事実です。私のネイチャー作品は、ちょうど、アートを専攻していた学生時代に学んだフランス印象派の画家のように、しばしば色や造形を強調します。このため、私は手持ちで軽快に使える一眼レフカメラよりも、大判カメラの技術的優位性を高く評価していたのですが、仕上がった写真は、固いイメージで自然な動きがもつ魅力に欠けたものでした。言い換えれば、瞬間を射止める巧妙さに欠けており、私の撮影スタイルや目指すことに反していたのです。結果として、私は、大判カメラを使うことをやめてしまいました。
D800を実際に使ってみて感じたのは、一眼レフカメラに備わる機動性や、撮影時の様々な決断を瞬時に行える快適性と、大判カメラに匹敵する圧倒的な解像力を兼ね備えているということです。両方のカメラの長所がつまったこの道具を使いながら、私はなんと恵まれた条件で撮影しているのだろうと思いました。今の私は、写真作品制作の可能性について新たな見解をもっています。極めて特殊な写真以外は、わざわざ大きく不格好な大判カメラを使わなくても、35mm判サイズの一眼レフカメラで十分にこなせるのではないか、と。
森のなかで巨大な老木に出会うと、一種の神秘と興味を覚える人が多いのではないでしょうか。それは、我々の意識の底にあるものが共鳴し、安らぎに似たものを感じるからだと思います。自然は、私にとって大きな意味をもっています。人間の侵入と大自然の猛威に耐え、大昔からその姿を留める樹木に、私は常に心を揺さぶられてきました。この写真は、密集した苔の質感、木々の複雑な枝ぶりが、構図を興味深いものにしています。何時間もかけて構図を検討するうち、光をうまく使えば、複雑に絡み合う枝がそれ自体の秩序を描き出すように思えてきたのです。自然とは混沌とした生命が作る巨大な一個の渦です。おびただしい思念と目に見える様々なものが渦巻く中から、満足のいく秩序を見いだすことができれば、それは大きな喜びをもたらします。私の長年の経験の中でも、そうした発見は稀です。特に依頼された撮影で発見するのは稀有なことですが、その分、発見したときの喜びは一段と大きなものです。こういう特別な写真は往々にして、予期せぬときに撮れるものなのです。
私は今、過去に訪れた撮影地にもう一度足を運びたいという想いに駆られています。このカメラの潜在能力と機動力を活かして、ディテール感や繊細な表現に再び挑戦してみたいと思うのです。D800の画素数があれば、ワイドな風景写真も大判プリントに耐えられます。画像を大伸ばしして楽しみたいネイチャー・フォトグラファーにとってD800はもっとも身近なものになるでしょう。加えて、階調や細部の表現に繊細さが求められるような写真でも、このカメラの実力が活きてくるだろうと、写真表現に新たな可能性を感じています。
ジム•ブランデンバーグ
(アメリカ)